「悟りのイス」を考察する

「悟りのイス」を考察する

天気のいい日に屋外で過ごすのは気分がいいものである。公園にはベンチがあるのだが、少し味気ない。そこで、大地に直に腰を下ろし、地球と直につながる感覚を感じるのはどうだろう?公園の中を見回して、手頃な窪みを木の根に見つけたらしめたもの。お分り頂けるだろうか?根元の辺りが緩やかなカーブを描いて窪んでいる。この根元の窪みに腰を下ろすと腰に丁度フィットする上に体重を後ろに傾ければ、木の幹が背もたれとして機能して、なんとも心地よい。まさしく自然に抱かれているようである。私は、この下にマットを引いて読書などしていたのだが、疲れたりすると瞑想などしていた。場所柄インド人なども多い。うっかりすると自分は菩提樹の下で瞑想するブッダと重なり、悟りを開いてしまいそうになる。現にネパール人に話しかけられた。彼に仏教の話を振って見たが全く興味ないようだったが。

★デザイン的考察★
①この木の根は使用者の下ろした腰を優しく包み、体重を後ろにかければ木の幹が背中を支えてくれる。上を見上げれば、太陽の光を梢が遮り、木漏れ日を作ってくれる。

②背中にあたる木の皮のパターンは美しく、意匠として優れている。

③アリの巣が有ると、いつの間にか体を這い上がってきたりする。私の場合はテントウ虫の幼虫が体に這い上がってきたり、足をアリに噛まれたりして大変だった。「悟りのイス」と言うからには殺生は御法度なので一々キャッチ アンド リリースしたが、キリがない。虫除けは必須であろう。


:::結論:::

これは、かなり気に入った。可能なら毎日でも「悟りのイス」で過ごしたい。ただ中年のおっさんが毎日、昼間から木下で瞑想しているとかなり怪しい。子供連れのお母様方からの視線が痛い。

ただ、気を付けてほしいことがある。私が木下に憩いを見つけてから、他の人たちも真似し始めたのだが、テントや、キャンプ用のイスなどを置いていた。分かってない。地に座り、木と一体になるのが心地いいのだ。「悟りのイス」の真髄はそこにある。

:::発展:::

根元にまで芝生が生えていれば言うことはないのだが、むき出しの土に腰を下ろすのはやはり抵抗がある。私はレジャーシートを引いて、綿の上着を畳んで座布団にした。即席ではあるが十分。



「グリーンの金網塀デザイン」

 

日本の住宅街には金属でできた網状の塀にツタ植物が絡まっているのをよく見かける。住居者の意図なのか自然発生したものかは不明だが、縦に伸びる網状の壁はツタ植物の育成を助ける。植物は二酸化炭素を吸収するので地球環境にもよく、また外部の視線からの目隠しにもなる。散歩がてら「グリーン金網塀デザイン」を考察してみた。

★デザイン的考察★
①金網の塀は隣接する家との境界線を示しながらもブロック塀の様な威圧感はない。よって、隣の家に対して良好な関係を演出できるが、どうしても自分の敷地、もしくは家屋内を視線に晒す恐れが出てくる。そこで、ツタ植物は自然のカーテンとなり、外部からの視線を優しく遮る。結果、緑は人の心を和ませ、感情的、機能的にも隣家に友好的なサインを送ることができる。

②ツタ植物は育成の過程で二酸化炭素を吸収し、酸素を放出するため、地球環境に優しい。

③ブロック塀より設置コストが安価である。
:::結論:::

このデザインは環境を考える上でも増えて欲しいのだが、販売者および使用者がツタ植物の絡みを当初から考慮して販売、設置しているのか謎である。

:::発展:::

上級者になると朝顔やトケイソウなどを育てることもある。壁を利用した園芸は3D花壇として発展させても良いのではなかろうか。



「サドルの下デザイン」を考察する

比較的気取らないスタイル(安価)な自転車の持ち主(おっさん、おばはん)に見られる傾向だが、写真の様に自転車のサドル下の空間にあるバネを利用して布を挟んでいるのを見かける。これは雨上がりなどにサドルの水を拭うためと推測される。見た目はともかくとして、道具(布)と処置が必要となる対象(サドル)が近く、水に濡れたサドルを拭く、という問題を早い時間で解決できる。さらにはバネに挟むことによって布の落下を防ぎ、放置しておいても布が乾くという何重のも利便性が見て取れる。「サドルの下デザイン」を考察してみる。

★デザイン的考察★
①道具(布)と処置が必要となる対象(サドル)が近く、水に濡れたサドルを拭く、という問題を早い時間と簡単なアクションでストレスなく解決できる。収納も簡単である。

②本来、自転車の搭乗性を上げるためのサスペンションであるサドルのバネに布を挟むという新たな機能を与え、布の落下を防ぐことに成功している。

③自転車は外に駐輪しておく事が多いので晴天時には自然に布が乾くし、雨天時はサドルが多少の雨を防ぐ役割をしている。
:::結論:::
自転車の持ち主の必要性が上手く解決されたデザインであり、見ただけで用途と意図がすぐ理解できるという、“問題と解決方法が視覚化”された良い例。手短にある物を利用して必要性を満たすも事は良いデザインの見本であろう。その証拠に多くの人々が同様の行為をしている。

しかしながら、“サドルの下デザイン”理念に乗っ取り、この様に布を挟むのは一部の使用者(おっさん、おばはん)に限られる。なぜなら、それはかっこ悪いからであり、高価な自転車の持ち主にはスタイルとして許容できないのである。高価な自転車のサドルの下には専用のポーチがつけられている事が見られる。それは積載量が限られる自転車の空間を最大利用しようとする意図ではあるが、ポーチを開けるためのファスナーなどが、中身までのアクセスにアクションを増やす要因になっている。さらには濡れた布を自然乾燥させる事もむづかしくさせる。つまりは、見た目の悪さという事で、この秀逸なデザインは使用者を限定している。それはカッコイイ或いはカッコ悪いという社会性、心理に由来しているのが興味深い。


:::発展:::

ポーチにしまわずに布をデザインして敢えて見せることによって、問題解決にするのはどうだろうか。例えば布を小さな旗の様にして、サドルの下から垂らし、走る間はその旗がたなびく様にする。この布には搭乗者の理念などを図案化しても良いし、見栄えの良い自分だけのオリジナルグラフィックにしても良い。これによって見るものを楽しませるし、駐輪場で自分の自転車を見つけやすくなるかもしれない。オリンピックの期間などは自国の国旗をたなびかせるのも面白いかもしれない。さらには光に反射する糸を織り込んだ布を使用すれば、夜間の走行時に車のヘッドライトで注意を引きやすくなり、安全性が上がる。雨天時は使用しないのでサドルの下に収納すれば良い。勿論、雨天後にはサドルを拭いて、旗にして乾かせば良いのである。


「切り株ペットボトルホルダーのデザイン」

「切り株ペットボトルホルダーのデザイン」を考察する

いつもの公園に散歩すると朽ちた切り株にペットボトル挟まっていた。切り株には自然な窪みができていて、丁度ペットボトルがぐらつきをしないほどの幅と深さを携えている。ある者がペットボトルを切り株の窪みに挟んでいったのだろうか。もしくは、一見、目立つ様に不自然な置き方をして、このペットボトルはゴミではなく、あとで取りに戻ることを示唆しているのだろうか。捨てるだけならば、この様な行為をしなくても、もっと簡単な方法は他にも思いつく。誰がなんのためにこのようなことをしたのは不明だが、その行為者にとってこの木の切り株はペットボトルを挟むのに好ましい形状であり、何かしらの意味をもつものなのだろう。ここで「切り株ペットホルダーのデザイン」を考察してみる。

★デザイン的考察★
①切り株にペットボトルを固定する幅と深さの窪みが自然に作られている。

②行為者にとっては窪みに何かを入れる事は何かしら意味を持っていたのだろう。もしかすると、心理的な行為なのかもしれない。
:::結論:::
工業製品のペットボトルと自然の産物である切り株と言う決して意図されないサイズ同士の組み合わせが偶然に出会った。
:::発展:::

切り株の自然な美しさに対して、人工的な形の工業製品は一見してそれと分かる。視認性の高さを利用して、広告媒体のイメージに良いかもしれない。管理人のとった写真で見ると確かに商品のポスターにも見える。

「銀杏の臭う地面デザイン」を考察する

「銀杏の臭い地面デザイン」を考察する

台風15号の去った翌日に近くの公園まで散歩をした。公園には銀杏並木があり、秋には見事な黄金色の子葉が風に舞う。それは、あたかも天が何かを祝福しているようで、うっとりとする景色になる(何を祝福しているかは知らない)。さらには、木々は熟れたギンナンを独特の臭いと共に地面に振りまくのである。秋にあの臭いを嗅ぎながら銀杏並木を歩くと、今は亡き父と子供の私が一緒になってギンナンを拾いに行ったのを思い出す。家に持ち帰り実を取り出して火で煎ったのは父だったが、嫌な臭いではなかった。センチメンタル。しかし、今年の秋は銀杏は不良であろう。なぜなら昨晩の暴風のためまだ青いギンナンの実が無数に落ちているのだ。まだ、9月ということもあり、銀杏は青く実は硬かったが、地面の上に無残にも振り落とされていた。秋になればこの実も誰かに食してもらうことが出来たろうに。

ギンナン相場というものがあったら、品薄を見越して買っておくのが良いと思う。(個人の感想です。)

さて、地面を歩くと右を見ても左を見てもギンナンだらけ。自分がギンナン地雷区域に入ってしまったのを呪った。どうりに周りに人がいないはずだわ。行くも地獄、引くも地獄で如何にもこうにも、ギンナンの実を踏まずに地雷区域から脱出する方法は無い。意を決して青い実を踏みながら歩くと、潰れた実からは確かに臭いはするが秋の旬の物ほどは臭わない。そして感触も熟れた“グニュ”ではなくて、少し硬めで、“ズニュ”位。このスニーカー底越しでも感じる位の感覚が面白かったので「銀杏の臭い地面デザイン」を考察してみる。

★デザイン的考察★
①ギンナンの実を踏むとスニーカーを履いていても分かる“感触”がある。
②ギンナンの実を踏む事によって“臭い”が発生する。
:::結論:::
踏む事によって、感触と臭覚にうったえる実がこのデザインを生んでいる。
:::発展:::
イベントや作品展示場などで、香水のような良い香りの物質をカプセルに入れて床にばら撒く。人が踏むたびに感触と香りを発生させる。おしゃれなイベントとかで喜ばれそう。香水の新発売イベントとかも良さそう。